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客観的に自分を見るには「もう1人の自分が、瞑想をしている自分を見る」というアプローチが要るのです。違う視点から物事を観察するという習慣が身につくと、人生において判断を誤ることが少なくなります。
「死なないカラダ、死なない心」より
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ヨガのテクニックとしてもそうですし、その他のトレーニング全般についても、
この「もう1人の自分」が必要だと思います。
「ドッペルゲンガーの話をしているのかしら?」
違います。笑
今回はヨガに特化して話しますが、
ヨガのクラスに来て下さる生徒さんの中に、
たま〜〜〜に、鏡の近くにこだわる人がいます。
なぜかを聞くと、だいたいこう答えてくれます。
「鏡がないと自分がどんなポーズをとってるのか分からないから」と。
素敵です。
ヨガを深める第一歩として、この意識があるかないかは大切だと思うのです。
その「鏡を見る」という動作は、
言い換えると、
「鏡に映った自分を、自分で観察をする」ということ。
まさに「もう1人の自分が、今の自分を見ている状態」なのです。
( 正確には「見ようと頑張っている状態」)
確かに素晴らしいのですが、
これには限界があります。
仰向けになった途端に、見れなくなるのです。
なので、さっきまでチラチラと鏡を見ながらアサナを整えていた人が、
シャバアサナになった途端に、
もぞもぞ...
ポリポリ...
スヤスヤ...zzz
結局、見れてないんかーーい!
ってなります。笑
まずは鏡とお友達になること。
しかし、悲しいですね。
出会いがあれば、別れがくるのです。
その鏡とはいつかお別れしないと、次のステップには進めないのです。。泣
ある時期から、鏡さんとは
「付かず離れずの関係」にならなければいけません。
でないと、鏡さんから離れることが出来なくなってしまいます。(鏡に対する依存)
ヨガの先生が鏡を見ながらアサナをとっていますか?
先生であれば、もうその段階には居ないハズです。(もちろん自分の練習となれば必要な時もあります)
そして、もう鏡がなくても自分を見れるようになれば、
ヨガをしていない時でも、
無意識レベルで「もう1人の自分」が「今の自分」を見る
ということがマインドセットされます。
松山大街道を歩いていても、
阪急百貨店でお買い物してても、
電車でも、運転中でも、トイレの中であっても、自分を客観視できるので、
人生の中で起こる様々なチョイスを間違えないようになっていくのです。
( ここでの「間違えない」は、「あとで後悔しない」という意味です )
客観的に自分を見ると、いろんな発見があります。
ヨーガの修行は、常に客観視の繰り返しです。
という僕の思い込み。笑