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感謝しながらやるのか、かたちだけこなすのか。
ケン・ハラクマ
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太陽礼拝は簡単なようでいて、とても奥が深いシークエンスです。
同じことを繰り返しているうちに、アサナのひとつひとつが深まっていき、感じ方の変化や、その日のコンディションがわかるようになります。
と、ケン・ハラクマ先生は言います。
まさにそうですね。
太陽礼拝、
かたちだけでやっていませんか?ということです。
「知っている」と、
「出来る」は、
全然違います。
月とスッポン、
インドとアメリカ、
陰ヨガとビクラムヨガ、
僕とクリシュナマチャリア先生ぐらい違います!
( 最後のは違いすぎる。。。笑 )
「ヨガが大好き」と言いながら、
アサナをこなすだけになっていませんか?
それは「ヨガ」が好きなんじゃなくて「アサナ」が好きなのです。
「アサナ」というツールを通して、自己の内面を見るのがヨガです。
僕は最近よく思います。
「ヨガのクラスって、頭を使わなくてもいいから、ある意味めちゃくちゃ簡単に『やってる感』を得られるなぁ。」と。
ヨガのクラスって、(もちろん意識的に取り組んでる人がいるのは前提ですが) 先生の声に合わせて動けばいいだけだから、脳や意識を使わなくても出来てしまうというマイナス面が隠れてるんです。
しかもこれは、ある程度ヨガに慣れた人に多いです。
初心者の場合は、クラス中、脳をフル回転させてると思うので、むしろ意識的だったりします(笑)
ここで、
ヨガが上達していく過程の中でおこる『自分との戦い』を例に挙げますと、
①『硬い身体』との戦い
⬇︎
②『アサナ中の呼吸』との戦い
⬇︎
③『身体の使い方のクセ』との戦い
⬇︎
④-1『マインドを制止させる』戦い
④-2『アドバンスアサナ』への戦い
と、こういう順番で昇華していくと思っているのですが、
最初は「意識的」に取り組んでいたのが、「無意識」に切り替わる時期がきます。
それは、
③『身体の使い方のクセ』との戦い
の時期です。
今日まで生きてきた年数分の、脳に染み付いた『身体の使い方のクセ』はなかなか修正出来るものではありません。
そしてこの『自分のクセ』というものは、ある程度、ヨガに慣れ、大体のベーシックアサナをとれるようになってきて初めて知覚できるのです。( 最高ですね。)
「わたしって、いつもこうなるんだよなぁ」というアレです。
ヨガを無意識に、かたちだけでこなしている人の『クセ』はずっと居座り、意識的に行えば、だんだん居なくなってくれます。
ヨガから「意識」が無くなれば、それはただのエクササイズです。
いつの間にか自分のヨガが、意識のない「かたちだけのヨガ」になっているかもしれません。
無意識は脳にとって毒です。
出てきてくれた『自分のクセ』に感謝しながら、
意識のチカラで、
お別れしましょう。
という僕の思い込み。笑