マサルシ 男のヨガブログ

パッとしない普通のサラリーマンだった男がヨガをしたら人生面白いことになりました。

子供とその環境

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心のまだ柔軟な子供は、悪い環境におかれると、心の異常な習性が発達するのも速く、気付かないうちに慢性的な心のアル中 (怒りっぽい、好色、貪欲など ) になってしまいます。

 

パラマハンサ・ヨガナンダ

 

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子供のいない僕が、子供について書いていいですか?

 

いや、いいよね。笑

 

発言の自由。許して。

 

ここでの「アル中」とは「何かに依存する心」のことを指しているのだと思います。

 

子供って本当にピュアなので、親の背中を見ながら、子供なりに「立ち位置」を考えながら、生きています。

 

( ここだけの話、子供はピュア過ぎてオーラの色も目まぐるしく変わり、見極めるのが難しい程です。それぐらい立ち位置を変えます。「オーラ」とか言うと変な人ですよね。はい、変な人です。笑 )

 

 

昔の自分を思い返すと、僕も子供ながらに「立ち位置」を考えてたなぁという気がします。

 

 

僕は多分、子供らしくない子供でした。

 

それは14歳で若さを捨てたからです。

 

僕が「14歳で若さを捨てた話」は有名ですよね?( 有名なのは僕のクラスの中だけですが。笑 )

 

そう、僕は14歳の時に「自分の若さ」を諦めて、ビンに入れて海に流したのです(笑)

 

 

まぁ、そんな話はさておき←

 

 

ヨガナンダ先生曰く、子供のうちは「心の異常な習性の発達が早い」らしいので、大人である私たちが十分に見本にならなきゃいけないのです。

 

この「相手」は、子供だけではなく「部下」や「後輩」に対しても言えると思うのですが。

 

私たち自身の心に、周りを気遣える程の余裕があり、精神的に安定しているのかが試されるのです。

 

 

僕は昔、サラリーマンをしていた頃、上司の家でバーベキューをする  という地獄のような「絶対参加行事」に行かなきゃいけなかったことがありました。

 

( 今思い出しても恐ろしい。笑 )

 

そこには、その上司のお子さん2人(小学校低学年くらいの兄弟)がいました。

 

そしてその小さな兄弟は、なぜか大笑いしながら嬉しそうに、僕や、他の若手社員の足を蹴っては逃げるのです。

 

これが結構イタイ。

 

そしてその上司さんはというと、「行け行けー!やれやれー!」というように、子供たちと一緒に笑っていたのでした。

 

楽しそうに喜んでいたのは、その上司と子供だけでした。

 

「子供のやる事だから...」なんて言ってられません。

 

当時、ヨガのヨの字も知らなかった僕は、ここでは言えないような放送禁止ワードが頭の中を駆け巡っていました。

 

「この親にしてこの子あり。」という言葉の意味が分かった瞬間でした。笑

 

 

この世の中、理不尽な事が多すぎます。

 

 

もちろん子供にも、生まれ持った気質や性格があって、親がどうこうできない時もあります。

 

ヨガの分野でも「過去世からの業を継いで生まれてくる」と言われています。

 

が、その子供の生きる環境を作るのは親の思考や、その世代の僕たちなので、「なるべく悪い環境を作らない努力」を心掛け、一生懸命に自分を律しなければなりません。

 

子供を律する前に自分です。

 

理想を語るのは簡単ですが、実践は難しいですね。

 

しかし、「わたし自身」の成長が、「その下に継ぐ者の成長」に直結しているのです。

 

アサガオは放っておいてもツルを伸ばしていくけど、( 思い通りにならない事を前提として )どう伸ばしていくか、添え木をするのか、あえて自由にさせるのか、方向修正に留めるのかは、育てている側が意識的に加えられる要素です。

 

ヨガでも、子育ては1番高いサーダナ(修行)と言われています。

 

思い通りにならないことの連続だと思います。

 

でも、心のアル中にはしたくないのです。

 

あなたが幸せでなければ子供も幸せではありません。

 

 

 

という僕の思い込み。笑