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心のまだ柔軟な子供は、悪い環境におかれると、心の異常な習性が発達するのも速く、気付かないうちに慢性的な心のアル中 (怒りっぽい、好色、貪欲など ) になってしまいます。
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子供のいない僕が、子供について書いていいですか?
いや、いいよね。笑
発言の自由。許して。
ここでの「アル中」とは「何かに依存する心」のことを指しているのだと思います。
子供って本当にピュアなので、親の背中を見ながら、子供なりに「立ち位置」を考えながら、生きています。
( ここだけの話、子供はピュア過ぎてオーラの色も目まぐるしく変わり、見極めるのが難しい程です。それぐらい立ち位置を変えます。「オーラ」とか言うと変な人ですよね。はい、変な人です。笑 )
昔の自分を思い返すと、僕も子供ながらに「立ち位置」を考えてたなぁという気がします。
僕は多分、子供らしくない子供でした。
それは14歳で若さを捨てたからです。
僕が「14歳で若さを捨てた話」は有名ですよね?( 有名なのは僕のクラスの中だけですが。笑 )
そう、僕は14歳の時に「自分の若さ」を諦めて、ビンに入れて海に流したのです(笑)
まぁ、そんな話はさておき←
ヨガナンダ先生曰く、子供のうちは「心の異常な習性の発達が早い」らしいので、大人である私たちが十分に見本にならなきゃいけないのです。
この「相手」は、子供だけではなく「部下」や「後輩」に対しても言えると思うのですが。
私たち自身の心に、周りを気遣える程の余裕があり、精神的に安定しているのかが試されるのです。
僕は昔、サラリーマンをしていた頃、上司の家でバーベキューをする という地獄のような「絶対参加行事」に行かなきゃいけなかったことがありました。
( 今思い出しても恐ろしい。笑 )
そこには、その上司のお子さん2人(小学校低学年くらいの兄弟)がいました。
そしてその小さな兄弟は、なぜか大笑いしながら嬉しそうに、僕や、他の若手社員の足を蹴っては逃げるのです。
これが結構イタイ。
そしてその上司さんはというと、「行け行けー!やれやれー!」というように、子供たちと一緒に笑っていたのでした。
楽しそうに喜んでいたのは、その上司と子供だけでした。
「子供のやる事だから...」なんて言ってられません。
当時、ヨガのヨの字も知らなかった僕は、ここでは言えないような放送禁止ワードが頭の中を駆け巡っていました。
「この親にしてこの子あり。」という言葉の意味が分かった瞬間でした。笑
この世の中、理不尽な事が多すぎます。
もちろん子供にも、生まれ持った気質や性格があって、親がどうこうできない時もあります。
ヨガの分野でも「過去世からの業を継いで生まれてくる」と言われています。
が、その子供の生きる環境を作るのは親の思考や、その世代の僕たちなので、「なるべく悪い環境を作らない努力」を心掛け、一生懸命に自分を律しなければなりません。
子供を律する前に自分です。
理想を語るのは簡単ですが、実践は難しいですね。
しかし、「わたし自身」の成長が、「その下に継ぐ者の成長」に直結しているのです。
アサガオは放っておいてもツルを伸ばしていくけど、( 思い通りにならない事を前提として )どう伸ばしていくか、添え木をするのか、あえて自由にさせるのか、方向修正に留めるのかは、育てている側が意識的に加えられる要素です。
ヨガでも、子育ては1番高いサーダナ(修行)と言われています。
思い通りにならないことの連続だと思います。
でも、心のアル中にはしたくないのです。
あなたが幸せでなければ子供も幸せではありません。
という僕の思い込み。笑