マサルシ 男のヨガブログ

パッとしない普通のサラリーマンだった男がヨガをしたら人生面白いことになりました。

価値とヨガについて

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今日は「ヨガ」と「価値」について喋っていこうと思います。

(特に書くことを決めてなくても、「価値」というワードでこんなに指が走ってしまうのは、才能なのかもしれないなと思ったりします)

 

「価値観」って難しいです。

自分が何に価値を置くか、

それは「必ず」人と違うからです。

最初は「この人と価値観が合ってる!」と思っていても、実は少しズレていることを誰しもが経験しているのではないでしょうか。(離婚とか疎遠という形で)

 

例えば、お酒を飲むことに価値を置いている人と、全く飲まない人では、全然違うことが分かるでしょう。

 

例えば、ギャンブルの話が好きな人と、ギャンブルに全く興味ない人でもそう。

 

ヨガの中でも、アーサナが好きな人と、哲学的な生活が好きな人でも違うんですよね。

 

ほら、価値観って難しいでしょ(笑)

 

「あの人とは話が合わない」

「話してても面白くない」

というのは全部、価値観のズレです。


でも問題はね、ズレがあると発覚してもお互いに「認め合えるか」と、

もうひとつは、

「譲り合えるか」

の2つだと最近よく思います。

 
認め合うのは誰でも出来るんですよ。


でも、相手の価値観を認め、それを譲る気持ち。(許すとか受容に近い)

 
それって誰にでも出来ることじゃないんですよね。

 

「認め合う」って言葉がよく使われるけど、これってよくよく考えてみると、認め合っているだけで「受け入れてる」わけではないことに気付くんですよね。

 

「認める」は「認知」、外側の世界。

「許す」は「受容」、若干内側の世界。

という微妙な位置の違いがあるのではないでしょうか。

 

「あなたの価値観は認めるけど許していません」という言葉は成り立つと思いますか?

 

僕は十分成り立つと思っています。

 

認めてるけど、受け入れてない感じ。

 

そんな姿勢はヨガ的ではないよなぁと、ふと思ったりしました。

 

兎にも角にも、価値観はみんな違って当然なので、その価値観を認め合って、譲り合って、お互いに生きやすい関係性を構築できればいいですよね。

 

「なんでも許す」って高位のアヒンサーですが、この目に見えない「価値観も許す」の難しさと奥深さ。

 

でも、自分がその「なんでも許す」姿勢でいるからといって、自分のやることも「なんでも許してね」となってはいけないのがヨガの世界である厳しさ(笑)修行ですね。

 

慈悲の瞑想というのがある理由も分かる気がします。

 

たまには否定しているあの人のことも「許す」気持ちで、その人の価値観も、自分の価値観も尊重してみるといいですよね。

 

あなたに価値があるように、その人にも価値があるのを忘れてはいけません。

(自分にも言い聞かせる)

 

自信を失っている時には「自分には価値がある」と声に出して言うことが大切というネット記事を見たことがありますが、もしかしたら「あの人にも価値がある」という言葉を言うのも、案外スッキリするかもしれませんね。

 

価値観の違う人と無理やり一緒にいる必要はありませんが、否定しながら一緒にいるよりは、許して尊重して一緒にいられたらどれだけラクだろうと思います。

 

 

という僕のひとりごと。笑