マサルシ 男のヨガブログ

パッとしない普通のサラリーマンだった男がヨガをしたら人生面白いことになりました。

働くこと

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働くこと、それ自体が働くことの恩恵であり、あなたの特権である。報酬を求めて働くことなかれ。成功や失敗にこだわる心を持ってはならない。この心の安定がヨガと呼ばれるのである。

 

「バガヴァッド・ギーター」より

 

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僕は最初、この言葉の意味が分かりませんでした。

 

「働くことが、働くことの恩恵?」

 

意味わからん(笑)って。

 

 

このバガヴァッドギーターは、ヒンドゥー教聖典と言われていて、ヨガを学ぶものなら誰しもが通る教本です。

 

僕もヨガを学び始めた7年前から既に出会っていましたが、この言葉の意味が最近まで理解できませんでした。

 

でも、ずっとヨガを勉強してると、

 

ある時、ふと分かったのです。

 

「あぁ!そういう事かっ!」

 

 

ヨガを学ぶことって、僕の中で「生き方を学ぶこと」なので、凄く難解で、意味を理解するのに時間が ( それこそ人生の経験が ) 必要なのです。

 

 

昔、サラリーマンをしてた頃は、自分の仕事に責任がなく、自分で選んだハズなのに、その状況に納得もしてなくて、現状を嘆き、悲観し、無い物ねだりばかりしていました。(子供だったんですね。)

 

なので、自分が「働くこと」に対して、対価を求めていたのです。

 

「これだけ働いたんだから、これだけは欲しい!」

 

という欲求です。

 

 

「あぁ、今日もサービス残業か...」

 

「これって給料に入らないの?」

 

「こんなに働いてるのになんで昇給しないの?」

 

「あの人は全然働いてないのに自分より貰ってる」

 

など、言い出したらキリがないんだけど。

 

 

今はこの仕事をしていて思うんです。

 

 

「あぁ、この仕事をさせてもらってるんだな〜」

と。

 

 

もちろん自分がこの道を、この職を選んだのは間違いないんだけど、

 

この仕事をさせてもらってるのは、僕と関わってくれている周りの人のおかげでもあるんですよね。

 

ある意味、周りの皆さんが僕を先生にさせてくれてる。という感じ。

 

 

自分が「私はヨガのインストラクターです」と言ったとしても、誰も生徒が居なければそれは先生ではないんですよ。

 

「私は◯◯です!」というものがあるのは、

 

あまんじて、そうさせてくれてる周りの存在があるからなんです。

 

「お母さん」でいることもそう。

 

子供がいるからこそ「お母さん」でいさせてもらえるハズなんです。

 

私を私でいさせてくれてる周りに感謝して、報酬や名誉や見返りを期待しない心こそが、

 

「安定」と言われる境地なのでしょうね。

 

 

「今の自分の立場を納得して選んだか」も重要な要素なんだと思いますが。

 

 

 

という僕の思い込み。笑