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自分の中の怒りが、間違った認識や、優越感や劣等感からくるのかを見つめるのです。
ティクナットハン
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どれだけ怒りたくなくても、それらと関わりたくないと思っていても、
普通に暮らしているだけで、外界からの影響や干渉により、怒りがメラメラ込み上げることってあります。
息苦しい世の中ですね。
「自分を見つめる」とは簡単に言えども、その作業は、
ロウソクの小さな明かりひとつで、真っ暗な洞窟を進んでいくようなもので、火が消えないように注意を払いながら、足もとや天井にも気をつけながら、丁寧に丁寧に、一歩一歩確認しながら進んでいくぐらいの微細な意識が必要。みたいな記事をどこかで読んで、共感したものです。
シャバアサナの時に、
「自分を律しよう」と意識的にアサナに向かい合ってる人もいれば、シャバアサナの体勢を整えた瞬間から無意識スイッチが入ってしまう人もいる。
自分をコントロールすることや、見つめるということはそもそも難しいのです。
『怒りの感情』についてもそう。
ヨーガの道は「自分がなんで怒っているのか」を見つめることから始まると思っています。それを「あの人が悪いからだ!」と端的に決めて、はい終わり!ではなく、
「これは私の認識が間違っているんじゃないかな?」
「私が優越感を感じたいからかな?」
「私が劣等感を感じているからかな?」
と自分に問うてみた時に、初めて自分の心との「意識の橋」が架かるのだと思います。
そうすると、自分の怒りの根源は、
結局自分だった。
という事に気付いて「ハハッ」っと笑えてくるのもです。
自分を見つめるという作業をサボっていると、知らないうちに不幸の種を蒔き続けていることに気付きません。
という僕の思い込み。笑