マサルシ 男のヨガブログ

パッとしない普通のサラリーマンだった男がヨガをしたら人生面白いことになりました。

欲望はいずれ悲しみになる

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先日、自分にグサッと刺さった言葉。

 

「欲望はいずれ悲しみになる」

 

 

僕は今まで、

 

「欲望は執着を生み、依存や怒りを生み出す」

 

と耳にタコが出来るくらい言ってきたのですが、この《執着》や《怒り》という言葉ではなく、《悲しみ》というワードの持つなんとも言えない哀愁に、改めて心がグサッときたのです。

 

 

《執着》や《怒り》って、強いイメージなんですけど、《悲しみ》って言われると淡くて儚い感じで、なんだか手放すのが可哀想って思ってしまうのは僕だけでしょうか(笑)

 

 

感情にも慈悲を(笑)

 

 

でも実際、この言葉の通りで、「欲望って悲しみにも十分繋がるよなぁ」と思います。

 

 

はてさて、どちらが先なのでしょうか?

 

①欲望からスタートして➡︎

 怒りや執着を通り➡︎

 悲しみに行き着く。

 

②欲望からスタートして➡︎

 悲しみを通り➡︎

 怒りや執着に行き着く。

 

 

人にもよるんだろうけど、僕は①の方がしっくりきます。皆さんはどう思います?

 

 

「なんだか悲しい」って感情はとても独特で、ひょっとすると《怒り》よりも《執着》よりも手放し難いのではないか?と感じています。

 

 

なかなか手放せない「悲しさ」。

 

静と動で言えば完全に「静」。

 

心に沈着する感じとでも言うのでしょうか。

 

動きあるものは見やすいけど、動きのないものって見えにくい。そんな感じ。

 

 

皆さんは、悲しみにやられてしまうことはないですか?

 

 

『ヨガとは心の止滅である』とは本当によく言ったもので、ヨガをする人はずっとこれがテーマとして頭の片隅にあります。

 

頭では分かっていても心や感情があるせいで止滅することが出来ないジレンマ(笑)これが仏教で言う「生」の苦しみなのでしょうか。

 

 

本当に人間は翻弄されます。

 

 

先日、何気なく見ていたテレビで「モチベーションが落ちた時はどうしてますか?」という問いに、松坂桃李さんは「お酒を少し飲んだり、お笑いを見ます」と答えていて、滝沢カレンさんは「落ちるところまで落ちます。そしたら次は上がるしかないので」と答えていました。

 

松坂桃李さんは気分転換をするタイプで、滝沢カレンさんは向き合うタイプなんだなぁと、何気ない会話の中に哲学をみました(笑)

 

 

心の奥で沸き起こっている欲望を客観視すること。

 

想いを細分化すること。

 

捨てれるものと「今は捨てられないもの」に分けること。

 

 

自分の部屋がいつの間にか散らかるように、自分の心の空間もいつの間にか散らかっています。

ふと立ち止まって、これらを片付ける時間ってやっぱり必要だよなぁと思います。悲しみや不安を抱えたまま生きていくのってしんどいと思うので。

 

 

片付けられることから片付けていきましょう。

 

 

 

という僕の思い込み(笑)