ここで、ヨガ哲学の一節をひとつ紹介します‼️
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知性も根本原質(プラクリティ)の具現化されたあらゆるものと同様、怠惰(タマス)、熱狂(ラジャス)、叡智(サットヴァ)で構成される。
推論は、知性がサットヴァに支配されている時のみ上手く使うことができる。
知性は、ヨーガを実践し経典を研究することで叡智(サットヴァ)に満ちてくるようになる。
「現代人のためのヨーガ・スートラ」より
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・・・。
何を書いてんの?(笑)
ってなりますね😂
(これでもかなり分かりやすい方。笑)
これを僕的に解説するとこうなります▼
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人が何かを判断する時は、3つのタイプに分かれます。●ネガティブで怠けた心の判断、●一見ポジティブだが自分の欲望に任せた考えの浅い判断、●中立な立場でネガティブな面もポジティブな面も理解した上での判断、この3つです。
「正しい判断」というのは、自分の心に「サットヴァ」という純粋な質が高まっているときだけ可能になります。
ヨーガを実践したり、ヨガ哲学を勉強することで、サットヴァな知性が身につくのです。
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という感じでしょうか🙋🏻♂️
普段、僕たちは「様々な判断」を繰り返しながら生きています。
◼️その「判断」は正しく行えているか?
◼️自分の欲望と理性を区別しているか?
◼️今の自分に都合のいい判断だけをしていないか?
◼️嫌われるかもしれない苦しい判断は選べるか?
これらは、ヨガに関係なく
人格を上げていくうえで凄く大切なことです。
(僕はそれに気付くまでに約30年掛かりましたが。笑)
今現在、コロナ禍にあって
それぞれに「正しい判断」が必要になっていますが、「自分基準」という不確かなものからくる「フワッとした判断」が、結局は自分自身や周りを苦しめることになっていると思うのです。
そんな中で僕が思う必要なことは「繋がり」だと思います。もちろんヨガをやっているからこそ、そう思うというのもありますが、時代は変わりました。縦の関係は曖昧なものになり、横の関係が大切になっていると思うのです。
目に見える「身体の健康」はもちろん大切ですが、目に見えない「心の強さ」「精神の安定性」が特に重要になってきている時代です。
上に書いたヨーガ・スートラの一節のように、自分の知性や心について考える機会に触れることは、面倒かもしれないけど、人が幸せに生きるなかで避けて通ることは出来ない。と思っています。
難しいことを考えないように、苦しみを忘れるように生きることは出来ると思いますが、それは、ゴミがあるのを知っていながら見ないフリをしているのと同じで、結局ゴミは溜まっていくのです。
後になって「あぁ、早いうちに片付けておけば良かった。。」となるかもしれません。
なぜか早いうちに老けてしまった僕が、今になって出来ること。←
それはヨガ哲学をシェアすることです。
唯一出来る、僕の役割がコレです。
ついに重い腰を上げ、ZOOMに手を出しました(笑)全国、いや世界のどこにいても顔を見て話せる凄い時代になりましたね(今さら言うやつ。笑😅)
90分だけ、自分を見つめる時間を、皆んなで過ごしましょう!
参加してくださる方、ご一報ください🙆🏻♂️
▼お話し会スケジュール
https://otokonoyoga.hatenablog.jp/entry/2021/03/02/140146
僕が学んできたことが、誰かの役に立ちますように‼️
(対談していただける方も募集中です🙋🏻♂️一緒に企画して繋がりましょう)
YouTubeも最近とても頑張っています😂
https://m.youtube.com/channel/UCTtU_EqEjxkZB5d0M0qdtOQ/videos