マサルシ 男のヨガブログ

パッとしない普通のサラリーマンだった男がヨガをしたら人生面白いことになりました。

ボヘミアン誕生日ラプソディ

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まさか今回の誕生日に、人生の混沌期が来てるなんて、いつ誰が想像しただろう。笑

 

今では少しそれを笑えるようになったが、何事も「時間が解決する」っていうのは本当だなと思う。それでもまだ向き合わなきゃいけない苦しいものがあるから、重い足枷を引きずりながら、足を掴まれながらも前に進んでいる。僕にとって今はそれが必要なことなのだろう。

 

今更だけど先日、映画「ボヘミアンラプソディ」を観た。無名だったフレディ・マーキュリーがクイーンとして名を馳せるまでの苦楽を描いた映画。良かった。

クイーンの曲は「聴いたことある」程度だったけど、最後ライブエイドでのパフォーマンスシーン We Are The Champions にはグッと来るものがあった。

 

We are the champions

 No time for losers

(俺たちはチャンピオンさ

 敗者に構っている時間なんて無いさ)」

 

僕は「なんでもヨガと関連付けたい病」にかかっているから、話半分で聞いて欲しいんだけど、この「敗者」ってなんだろうって思う。ヨガでいう「チャンピオン」ってなんだろう?と。

こんなこと考えてるのって、おそらく愛媛県では僕だけだろうね(日本中で見ても数人だろうけど。笑)

 

ひとつ思うのは、「チャンピオン」っていうのは「自分に打ち勝った者」で、「敗者」っていうのは「自分に負けた者」とも言えるかなって思う。「相手に勝った負けた」じゃないのがヨガの重要ポイントね。

要は、「自分の欲望や怒りに打ち勝った者」と、「自分の欲望や怒りをコントロール出来なかった者」に分かれるのかなってこと。白黒つけたい訳じゃないんだけど、前者はどんどんチャンピオンになっていくし、後者はどんどん敗者になっていくんじゃないかなって思う。

人生の様々な局面で何回「チャンピオン」の方を選んで、何回「敗者」の方を選んでしまったか。僕はそんな事を誕生日の当日に考えている(笑)

 

今、僕の身に起こっている出来事に対して、「チャンピオン」側として向き合っている自信がある。心配してくれてる実の姉からは「あんた、優しいねぇ。まぁ私とあんたは違うから。笑」と言われたし、相談した弁護士にも「私ならそうしませんが、あなたがそうしたい気持ちは止められないので。笑」と半笑いで言われた(笑)

前回のブログ記事で「綺麗事は一度捨ててしまえ」みたいな文章もあったが、やっぱり僕には綺麗事を捨てられなかった。嘘をついてまで「自分を有利に」したくないんだ。相手は最初から綺麗事なんて捨ててるのにね。

 

「成長」や「感謝」と言うワードが頭の中にすぐ出てきて困る(笑)

 

きっとこの経験も未来に生きるし、こういう状況にさせてもらって有難いし、これまで様々な体験をさせてもらって感謝をしている。だってそれらは「問題」とは別の話なのだ。「尊敬できる人」と「信頼できる人」が全く違うように、「納得できない事柄」を無理に感謝する必要って無いんだよね。皆さんはここら辺、混同していませんか?

 

今まで気付いてなかっただけで、本当に多くの人に助けられてるし、応援されていることに、改めて気付けた誕生日。ここを乗り越えてまた良い先生になりたいと思う。自分のことを「先生」なんてまだまだ自信を持って言えないけど、これからも「人として」内面を磨いていきたい。

 

「ヨガの先生」ってひと言で言っても、幅が広すぎるよね、人間の幅が(笑)ほんと、困ったもんだ。

 

自己反省なくして、自ら人は変われない。他者に反省させるよりも自分で反省できる人が、僕は素敵だと思うんだ。

 

 

という僕の思い込み。