マサルシ 男のヨガブログ

パッとしない普通のサラリーマンだった男がヨガをしたら人生面白いことになりました。

気づこう、見つめよう。

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『幸福とは、なるものではなく、気づくものである』

 

これはヨーガ、アーユルヴェーダに共通する考え方です。

 

皆さんはどうなれば幸福ですか?

「お金持ちになりたい!」とか、「かっこいい彼氏が欲しい!」とか、「人気者になりたい!」「モテたい!」とかでしょうか?

たしかにそれも、ひとつの幸福の形かもしれませんが、それらは外部の要因に依存しているので、もし叶ったとしても長期的に見れば、幸福とは真逆の苦しみになるのではないでしょうか。

 

お金持ちになれたとしても、そのお金が増えたり減ったりすることに執着して、いつまでもお金に囚われる人生になる。

かっこいい彼氏が出来たとしても、いつか彼に嫌われたらどうしようと不安になったり、彼に執着するあまり重く思われたり。

人気者になったり、モテたりしても、いつかその人気が無くなるんじゃないかと怖くなったり、モテていた頃から衰えていく自分がイヤになったり。

など、外部の要因に求める幸せは短期的であるとヨーガやアーユルヴェーダは伝えています。

 

僕も昔は、モテたかったし、くせっ毛なのに世の中のイケメン達がやってたようなサラサラヘアーに憧れたし(センター分けが流行った時代)、アメリカンバイクに乗ってブイブイ言わせたかったし(実際、金髪ピアスでアメリカン乗ってたけど。笑)、身長も伸ばしたくて、飲んだらお腹くだす怪しい『背伸び薬』も飲んでたけどね(パワーワードばっかり。笑)

 

アーユルヴェーダの本にはこうあります。

「幸福とは、外部から何かを加えることによって到達するものではなく、すでに持っているものに気づき、整えることだ」

そう。たまにはこういう考え方に自分の思考を置くことも必要だと思うのです。(たまにで良いので)

 

しかし、それは「そのままで良いんだよ」信仰とは違うと考えています。一度も家から出ず、外の世界を知らず、自分や他者の存在や使命について考えることなく、「そのままでいい」のではありません。

外の世界と交わることによってのみ自分が分かります。そして、自分を知ることによって外の世界との関わり方も分かっていくのです。

そういった押し問答を繰り返していく中で「外に幸せはないのかも」と気づくこと。そして自己の内側を見つめること。そこで改めて、最初の状態に戻った時、分かるんです。「あ、家にいるままでも幸福はあったんだな」ということに。

 

この、一度「経験してくる」というのは本当に大切です。悟りを開いたとされるブッダも、命を落としそうになる程の修行を経験したことで「こんな修行に意味はない!」と気づいたんですから(笑)


僕も19歳の頃に気づいたんですよ。
「いつまでもストレートパーマにかけるお金は無い!」と。(なんで縮毛矯正ってあんなに高いの?笑)

 

・・・話を戻して。笑

 

ヨーガが「悟り」を目的としているのと同じように、アーユルヴェーダも違った角度から「悟り」を目指す学問です。

 

ヨーガは【アーサナ】を通して健康な状態へと導きます。

アーユルヴェーダは【個々に合わせた調整法】を通して健康な状態へと導きます。

 

好きな方を選べば良いし、うまく併用すればいいのです。知識は使い用なのですから。

 

約2700年前に書かれた『スシュルタ・サンヒター』にはアーユルヴェーダの【健康】の定義として、

「ヴァータ、ピッタ、カパのバランスがとれることにより、肉体的に調整され、快眠・快食・快便であり、体内組織のバランスがとれている状態に加え、毎日が楽しくて、観るもの、聴くものに幸福感を感じられることが健康の条件だ。」

と記載されています。

 

この条件を満たすことの難しさよ(笑)

 

しかし、まずは自分の身体を医者にゆだねる前に、私自身が自分の身体や心に目を向けてケアしてあげることが大切です。

信頼すべきは自分自身。自分の身体と心とを教科書にして、その感覚を頼りに最適な方法を探していきましょう!

 

 

 

という僕の思い込み。