マサルシ 男のヨガブログ

パッとしない普通のサラリーマンだった男がヨガをしたら人生面白いことになりました。

インドのことわざ①

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『内壁をないがしろにして外壁を塗る』


意味:

外見ばかりを取り繕って内面を磨かない人のこと。道徳がありそうに見えるが、実は悪行を行なっている人。


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ヨーガを学び、練習し、実践を続けていると、上記のような状態が「自分の場合」「他人の場合」に関わらず、手に取るように、それこそ直感的に分かるようになってきます。


それは、口では最もらしいことを言っておきながら、行動が伴わないことと同意です。

 


「ヨーガ哲学、めっちゃいいよ!」と周りの人にオススメしておきながら、その本人がヨーガ的な人柄を養おうとしていないことと同意です。

 


「本当に実践している人」を相手にした時には、そのハリボテ感が秒でバレてしまいます。。

 


だから、私たちは自分自身と向き合い、慎重に、精神的習熟度を高めていくことが大切だと思うのです。

 

 

「他人より、まず自分」

 

 

しかし私たちは、何度も何度も「他人」にばかり目がいってしまう生き物のようです。

難しいものですね。笑

 

 

ヨーガは究極の道徳心を養う行法でもありますが、そのヨーガの知識を得ることによる快楽の経験から、


「知識を得ることだけ」「それっぽく振る舞うことだけ」になって、全く中身が伴わないという危うさが潜んでいるなぁと思うのです。

 

 

「それは、ただの自己満足です」

 

 

口では良い言葉を話していても、その人の「実践という名の行動」に繋がっていなければ、誰にも響くことはありません。

 

 

ヨーガを勉強していると面白いことが起こります。

 

それは「試される」ということです。

 

『アヒンサー(非暴力)』を学んだ途端、どうしても許せない相手が目の前に現れたりします。

 

『ブラフマチャーリヤ(禁欲)』や『サントーシャ(知足)』を学んだ途端、どうしても手に入れたいモノが目の前に現れたりします。

 

『スヴァディアーヤ(正知の勉強)』を学んだ途端、「今日は勉強するぞ!」という日に限って、その決心を鈍らせるようなお誘いが来たりします。

 

 

 

「痩せるぞ!」と決意してジムに入会した途端に、忙しくなって行けなくなるようなものです。(それを幽霊会員と言います)

 

 

強い意志により「内壁」を強固なものにしていくことがヨーガの道です。

 

 

「都合のいい時だけヨーガと言うのですか?」

 

 

それも1つの「選べる道」なのでしょう。

 

 

つい最近、僕にも苦難がありましたが、なんとか踏ん張ることができ、平安が訪れました。

 

内壁をないがしろにして外壁ばかり塗るのは、あまり良い方向には進んで行かないようです。

 

 


という僕の思い込み(笑)