5年前、インドで見学したマハリシ・アシュラム。
通称、ビートルズアシュラム。
ビートルズが滞在して、数々の名曲を生んだアシュラムとして有名だが、今は誰もおらず放置され、観光名所になっている。
そこを5年前に訪れたわけだが、
放置されたアシュラムを見学するのは、
「命がけ」である。
右上の天井みてよ。
パネル落ちかけてるやん(笑)
この下を通るときは、めっちゃ怖かった。
「自分の命の責任は、自分にある。」
ということを学んだ(笑)
私たちの多くは既に分かっているはずだ。
「責任のない仕事」を続けても、達成感は感じないということを。
「責任がない」=「気楽」であり、
「責任がある」=「大変」な感じがする。
というのは、なんとなく分かっているだろう。
会社で責任のない立場に居続けると、責任のある人たちを横目に「気楽」かもしれないが、
同時に「達成感」も感じられない。
もしかしたら、会社からも「いらない人」になってしまうかもしれない。
家庭内でもそうだ。
「旦那のせいで」
「嫁のせいで」
「子供がいるせいで」
と、「自分の行動の責任」を逃れ続けた先に待っているのは、
達成感だろうか?
それとは反対に、
「責任のある仕事」をやり遂げた時は、
達成感を感じられるものだ。
「こんなハズじゃなかった」
「これは私じゃない」
「私のせいじゃない」
「会社が悪い」「社会が悪い」「環境が悪い」
と言うのはもうやめて
自分の行動に責任がある人になっていけば、
人生は達成感に満たされる。
死ぬ間際に後悔する人が8割いるこの世界で、
いかに達成感を感じながら死ねるか。
それは「自分の人生」という死ぬまで続く仕事に、責任があった人だけなんだと思う。
人はいつでも再出発できる。
自分の命は、自分で守ろう。
と言うのと、
自分がこうなった責任は、自分で取ろう。
と言うのは、同義語である。
さぁ、また再出発しよう。
という僕の思い込み。笑