マサルシ 男のヨガブログ

パッとしない普通のサラリーマンだった男がヨガをしたら人生面白いことになりました。

周りと同じでいることは幸せか

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大衆とは、自分が《みんなと同じだ》と感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じて、かえっていい気持ちになる、そのような人々全部である。

 

ホセ・オルテガ・イ・ガセット

 

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スペインの哲学者、ホセ・オルテガ・イ・ガセットの著した『大衆の反逆』という本があります。

 

その中で、オルテガ【大衆】のことを、

 

・mass man : 大量にいる人たち

・「根無し草」になってしまった人たち

・個性を失い、何者でもない群衆化した人たち

 

のことである。

と定義しています。

 

「根無し草」とは比喩的に、浮動して定まらない状態のことです。

 

 

この定義の表現方法は、いささか攻撃的な感じもしますが、ヨガの中にある思想・哲学にも共通する部分があり、これを知っておくことは私たちが幸せに向かって生きていく上で、とても重要なことだと思うのです。

 

 

世間一般的にも【大衆】とは、【多くの人たち】のことをまとめて指す言葉で用いられますが、その【大衆】のほとんどが、(ヨガ的には) 幸せでない生活を送っていると思うのです。

 

 

もう少し踏み込んだ言い方をすると、「幸せだと思い込んでいるけれど、実は満足できていなくてストレスを抱えた生活」を送っているのではないでしょうか。

 

 

日々の疲労やストレスに消耗し、やりたくない仕事をし、好きでない人と損得で付き合い、自分よりも他人のことが気になり、批判的である一方で、愛情に飢えている。幸せになりたいと行う行為が、実は自分を苦しめていることに気が付かない。。

 

などという状況にある人は、たくさんいるでしょう。(過去の僕がそうであったように。)

 

 

「みんなと同じである」ということに安心する。いい気持ちになる。そのような人々を【大衆】と呼ぶ。

 

と、オルテガは分析しました。

 

 

そうなってしまうことは、怖いことだと思うのです。

 

 

《みんな違う》《正解が個別にある》というこの世の中で、知らず知らずのうちに【みんなと同じであることが「正しい」】という認識に操られてしまうのです。

 

それは逆に言うと、【みんなと違う人は「気持ち悪い」】ということにもなります。

 

《少数派の人はおかしい》という思考を作り上げてしまうのは、現代を無意識に生きていれば容易いことなのでしょう。

 

 

ヨガ的に考えても、その【大衆】にまぎれてしまうことは【自分を見ない】【無意識】【無知】というワードが出てきそうですが、

そんな【大衆】な人たちが、この現代社会において【社会の代表】となり、【多数派】の位置に君臨していることは、ある意味「怖い世の中」であるとも言えます。

 

 

もしもあなたの "思慮ある行動" が、その【大衆】や【多数派】に否定されたとしても、なにも気にすることはありません。

 

 

あなたの個性は間違っていないし、これからも自分に磨きをかけていけばいいのです。

 

 

生きていく上で「誰にも迷惑をかけない」というのは無理です。

私たちは知らない間に誰かを傷つけて生きています。

 

 

しかし、なにが正しい行いで、なにが無知な行いであるのかの分別をし、自分を賢くしていく努力は続けていきたいものです。

 

 

自分の中の【大衆】の部分を観察し、「まわりと同じでいることへの安心感」を手放すことが、今の不幸から脱する決定打になるかもしれません。

 

 

もちろん、「周りと同じこと」をしながらも幸せに生きられる人もいますが、そうでない人がいるのも現実です。

 

 

僕も昔は「周りと同じこと」をしていましたが、それでも不幸でした。

 

結局は、自分を誤魔化しながら生きていたのです。

 

 

今はそれに気づけて、毎日幸せにやっています。

 

 

「周りと同じでいること」は、「幸せ」とは程遠い場所にいるのかもしれません。

 

 

 

という僕の思い込み。笑