
ヨガ哲学を教えてくれたインド人の先生が言っていました。
「スピリチュアルに興味がない人は、それはそれで問題ありません。」
確かにそう。ごもっともですよね。
でも人の多くは、自分が今学んでいることや興味があることの正当性(自分がやってることは正しい事だ!)を感じたいからさ、ちょっと排他的な欲望が顔を出してしまうよね。そういうことって日常にめちゃくちゃありますよね。
お酒を呑む人が、お酒を呑まない人をバカにしたり(自分が呑んでいることを正当化したい心)、逆に、呑まない人が呑む人を蔑んだり(呑まない方が偉いんだと思いたい心)。
他にも、ヨガをする人がヨガをしない人に「勿体ないよ!絶対やった方が良いよ!」って言うような場面だったり、鬼滅の刃にハマっている人が、鬼滅の刃を見たことない人に「絶対見た方が良い!」って勧めたりも同じ。笑
何も、これら全部が悪いって言いたいワケじゃないんだけど、ここから「(お酒を)呑んでも、呑まなくてもいい」「(ヨガを)しても、しなくてもいい」「(鬼滅の刃を)見ても、見なくてもいい」という「どっちも良いんです思考」を持つことが、最初は凄く難しいよねって話。
この話って正に理性と本能を現してると思う。落ち着いて考えたら「理性」の方で分かるんだけど、咄嗟の判断としては「本能(クセ)」の方でジャッジしちゃうってことよね。
「スピリチュアルに興味がない人は、それはそれで問題ありません。」
これ、ヨガ14年目の僕が今聞いても、やっぱり少し新鮮な気持ちになるって言うか、「そうだよね」って、思うと同時に「うっ...」って少し刺さるものがあるんですよね。「心は相手に求めちゃうよね〜...」って反省しちゃう。
あ〜あ、やっぱり心って厄介だわ(笑)
インド人先生は更に続けます。
「内側から自然に出てくるものを見て下さい。《物欲を満たしたい》という気持ちが内側から湧いてくるのであれば、まずはそれを満たして下さい。それが間違ってるとかではありません。」って、
そう!そうなんですよね。間違ってないんですよ。なんならそれを経験しないと学びが先に進まないから。
だから、何に興味があっても良いし、逆に興味がなくてもいいんですよね。一番大事なことは、内側の声を聞くこと。自分の内側が何って言ってるか?それをキャッチしようとすることが大切なんです。
ヨガには「ヴィヴェーカ」というサンスクリット語があって、それは「識別」とか「分別」っていう意味なんだけど、もうひとつ深い意味的には「自分を知りたいという興味」や「自分を分析する能力値」のことでもあるんです。
「自分の内側から自然に出てくるものを見れるか?」は、このヴィヴェーカを持っているか?が重要になる。だってそもそも「自分を知りたい」っていう気持ちだったり、「自分って何?」っていう興味がないと、分かるものも分からないで終わるからね。やっぱり自分に対する興味が大事ですよ。
「ヴィヴェーカがないと、今自分がやっている事が、本当に内側の声でやっているのか、周り(外側)に影響されてやっているのかが分からなくなります。そんな人はヨガの世界にも沢山います。」とインド人の先生は言いました。
ヨガの世界にもスピリチュアル(哲学)に興味のない人は実際にいるんですけど、ただ、それもヨガ哲学的に言うと、「それはそれで良い!」ということなんですよね。
やってみて初めて分かる事ってあるけど、やらないっていう選択肢もさ、ある意味で「やらない」という行動はしているから、そこからまた何かしらの結果は生まれるので、その人はそこからの学びを得る。ってことが起こると。(言ってること分かるかな?)
そう考えれば、焦って何かを決めなくていいし、ちゃんと自分の内側から湧いて出てくるものを見て決めたのでも遅くないハズ。
(ここで注意なのは、湧いて出てきてるのに見て見ぬふりしてるほうが厄介なことになります。笑)
まとめ。
スピリチュアルに興味がないのは、その段階を経験してる最中だから、それはそれでOK!!それ以外の興味のあることに、まず取り組んで。
そして、スピリチュアルへの興味が湧いてるのなら、それを無視せず、そこからまた自分を見る目、分析する目「ヴィヴェーカ」を深めていこうね!!ってことよね。
あなたは自分を知りたいですか?
スピリチュアル(哲学)に興味はありますか?
自分を見つけていきましょう。
自分を知るってホントに楽しいですよ。笑
(少なくとも私は。)
という僕の思い込み。笑
(↑久しぶりに出た)
マサルシ