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すべてを与えられたものとして受け入れる人は『ヨーガ』を確立している。その人は常に落ち着き、揺らぐことがない。
「バガヴァッド・ギーター」より
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僕の人生のバイブル、ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の一節です。
この文章の前の部分で、『プンニャ (徳)』と『パーパ (不徳)』についても書かれています。
生活の中で、私が正しい行いをすると『プンニャ (徳)』という結果がもたらされます。
逆に、不正な行いによって『パーパ (不徳)』がやってくる。と言われています。
なるべく悪い行いをしないよう、努力しましょう。でないと、全て自分に返ってきますよってことです。
しかし、
今回はそれだけを言いたいのではなく、
私の「何かしらの行い」による結果が、徳であれ、不徳であれ、その2つに惑わされず
すべて、これは私に与えられてるものだと受け入れることが大切だと言いたいのです。
そして、そこから何かを学ぶこと。活かすこと。
これは、心が柔軟でなかったり、自分に余裕がないと、なかなか受け入れられないし、特に『パーパ (不徳)』= 『自分に不都合なこと』がやってきたときなんて、誰かのせいにしたいと思ってしまいます。
しかし、その『パーパ (不徳) 』は、あなたの過去の行動の結果であり、その良し悪しに関わらず、受け入れて、自らが乗り越えなければいけない事柄なのです。
物事は起こるべくして起きます。
生きてたら、楽しい事も、つらい事も起こるでしょう。
でも、そのつらい事は、今のあなたに与えられるべくして来たのです。
だから活かしましょう。
僕も、昔の自分を振り返ると、まさにこの通りのことが起こっています。
当時、精神的にお子様だった僕は、どこにいっても偉そうで、あたかも自分の言うことが全て正しい。自分は知っている。という態度でした。。(無知でした。笑)
他人の意見を批判し、現状を嘆き、周囲を卑下して過ごしていました。。
自分を守ること、自分が他人よりも良い位置に立つこと、優越感を感じることに必死だったのかもしれません。。
そんなことをしていると『パーパ (不徳)』が返ってきます。
周りからは「こわい人」「面倒な人」「よく分からない人」と思われ、敬遠され、誰からも選ばれなくなっていきました。
選ばれないって、とても寂しいですよね。
報われません。
そんな過去があったからこそ、僕は自分の至らなさに気付けたし、本当にワガママを言ってたのは自分だ!と見直すことができたのです。
自分にやってきた『パーパ (不徳)』を活かすも殺すも、全ては自分の心(意識) 次第。
悲劇のヒロインも良いけど、
「なんでこうなったんだろう?」
「あはは、そうきたか〜。笑」
と、少し自分を遠くから観察すること。
他人を変えるのではなく、
まずは自分を変えるために来てくれた『パーパ (不徳)』と向き合ってみるのもヨーガを確立する1つの方法です。
パーパは、自分を振り返る良い機会です。
という僕の思い込み(笑)