マサルシ 男のヨガブログ

パッとしない普通のサラリーマンだった男がヨガをしたら人生面白いことになりました。

善きものと快きもの

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善きものと快きものとは異なる。

善きものを選ぶ者たちは幸いである。快きものを選ぶ者たちは最終的な目標を見失う。賢者は、双方を吟味して、一方を他方から区別する。

 

「カタ・ウパニシャッド」より

 

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僕がヨガを勉強し始めた頃、この言葉と出会った時に衝撃を受けました(笑)表現がとても分かりやすくて、どんな場面にも使える、すんばらしい知識だったからです。

 

AとBの道を選ぶ時、多くの場合わたし達は「快きもの」を選びがちです。

 

「善きもの」は、善良なもの。

 

「快きもの」は、快楽・快感を感じるもの。

 

と、捉えることが出来ます。

 

僕は昔、サラリーマンだったのですが、仕事で「怒られるかもしれない報告」をする時に、仕事に厳しいA先輩と、いつも優しいB先輩がいて、そういう時だけB先輩に報告をするっていう「快きもの」の方を選んでいたのです。

 

当時は、無意識にそうしていました。笑

 

今になって思い返すと、A先輩に報告する方が「善きもの」の方だったなと反省したりします(笑)

 

「快きもの」の方を選ぶ時って、「ラクしたい」とか「自分を守りたい」「自分が得したい」という気持ちが隠れていたりします。。

 

例えば他にも、

「体に良い食事」を理解していながらも、味覚が美味しいと感じる「粗悪な食事」に手を出したり。

(知らずにそれを選んでいるのと、知っていて選ぶのとは意味が違ってきます。)

 

「適量」を知っていながらも、気持ちが良いからと「飲み過ぎ」たり。

 

自分から動くのが面倒だからと、他の誰かが動くのを待っていたり。

 

現状の心地よさから、前に進む勇気が持てなかったり。

 

自分の至らぬ点を棚に上げて、他人や環境のせいにしてみたり。

 

と、例を挙げるとキリがないのですが、自分の身の回りには「善きもの」と「快きもの」が溢れているのです。

 

 

自分にとって、

 

「善き行動」だと思っていたのは、実は「自分が心地よくなるだけの行動」だったのではないか。

 

「善き人」だと思っていたのは、実は「自分にとって心地よいだけの人」だったのではないか。

 

「善き物」だと思っていたのは、実は「自分が心地よくなるだけの物」じゃないのか。

 

「善き運動」だと思っていたのは、実は「自分にとって心地いいだけの運動」だったのではないか。

 

最初は難しいかもしれませんが、「これは自分にとってどっちなんだろう?」と考えてみると、改めて、新しい自分との発見があるかもしれません。

 

 

 

という僕の思い込み(笑)